寝てない男[寝れない男1/4]

忍びが寝ている。
忍びだって人間だ、寝て当然である。しかし海野六郎は霧隠才蔵が寝ているのを初めて見た。しかも真昼間にだ。
体こそ起こしてはいるが背中は壁に預け、小太刀程度の長さの直刀を抱えて、部屋の隅で瞳を閉じている。六郎は開いたままの襖越しからその姿を確認した。寝息は聞こえない。だが動く気配もない。
物音を立てぬようソッと足を進め、そのまま隣の部屋に入った。

手狭な室内には男が一人いた。作業台を前に、ネジを削り出している。
「どうした。」
男は六郎の顔を見るたり声をかけてきた。望月という。
「才蔵が隣の部屋で昼寝をしてる。」
六郎は見たままを報告した。本当は手紙の書き方を教わるつもりで来たのだが、二の次になってしまった。
「忍者だって昼寝くらいするだろ。」
「そうかもだけど、初めて見た。」
「……そう言われれば、俺も見たことがないな。」
ちょっくら寝顔を拝見してくるか、望月が腰を上げた。と、同時に部屋を仕切っていた板戸がスッと静かに開く。繋がった部屋と部屋の狭間には才蔵が立っていてこちらを見下していた。開けたのは望月では無い、反対側から才蔵が開けたのだ。
肩透かしを食らった望月は浮いた腰を落とすように元に戻した。
「もっと寝てていいんだぜ?」
「お前らの話が気になって寝れねぇっつの。」
「小声で喋ってたつもりだったんだがな。聞こえてたんなら大声で喋りゃ良かったぜ。」
「迷惑だ。」
才蔵の声には覇気がなかった。というよりは、明らかに機嫌が悪く、今にも舌打ちやため息が聞こえてきそうなほどイラついている。
昼寝の邪魔をして怒らせてしまったと、六郎は申し訳なくなってしまった。
「ごめん、起こしちゃって。静かにしてるから気にせず寝てていいよ。」
「気を遣われる方が寝れねぇよ。」
「あぁ、職業柄ってやつ?」
望月は納得した。
足音とか、気配とか、小さい音の方が気になるのだとか。忍びという緊張感が常に伴う役割がゆえに、微かな音に敏感になってしまったのだ。
それは困るね、と労う六郎に、別に困らないと才蔵は愛想悪く返した。板戸は開けたまま、二人が見える位置で再び壁を背にして座り込んだ。
「自分で選んだ生業だ、困りはしない。寝なくても安静にするだけで休める、気遣い無用だ。」
「俺たちはいつも通り過ごしていた方がいい?」
「それはそれで望月が五月蝿い。」
小さい音で眠れないのだから、大きな物音の中でも眠れるわけがない。望月は、わざと声を上げて笑った。
「悪口は本人に聞こえるぐらい大声で言っとかねぇとな!」
その悪ふざけには小さな舌打ちだけが返ってきた。

「才蔵の奴、相当機嫌悪そうだな。」
望月が小声で六郎に話を振る。
「本当は眠りたいんだよ。」
「仕方ねぇな、寝かしてやりますか。」
望月は作業箱として使用していた籠を漁り出した。
静かにしていても普段通りでも眠れないと話していた忍びを眠らせる妙案があるらしい。得意げに取り出したのは火縄銃の銃筒だった。
「これで後頭部を殴る。」
「黙って受けてやると思ってるのか?」
普段は質疑をしなければ口を開かない才蔵も、さすがにツッコミを入れた。鉄の塊を頭に喰らえば、下手すれば死んでしまう。六郎もその案には反対した。
「ならお前が寝かせてやれよ。」
ダメ出しするなら解決策も出せと、銃筒を籠に戻す望月に丸投げされた。一瞬戸惑ったが、才蔵は寝かせてやりたいので、懸命に思考を巡らした。
六郎は考えた。才蔵だって過去に一度も安眠ができなかった事はない筈だ。一体どのような状況下で寝ていたのか考えた。自分がした昼寝の中で一番心地が良かったものも考えた。
筵を取り出し、日の当たる縁側に敷いた。そこに才蔵を案内する。
「ここでどうぞ!」
才蔵は嫌そうな顔をした。眩しい。日の光の中、到底寝れるとは思えない。
続いて六郎は一匹の犬を呼び出した。才蔵が躾けている犬で『スズメ』と言う。六郎が可愛がっているので、スズメも六郎に懐いている。
スズメが縁の下から顔を出すと、六郎はトントンと縁側を叩いた。スズメは叩いた縁側にトンと飛び乗った。
「俺のスズメに何教えたんだよ。」
「教えてないよ、お願いしただけ。」
「それを調教というんだ。犬を床に上げるな。」
才蔵は怒りを通り越して呆れてしまった。しっかり叱って言い聞かせたい所だったが、そんな気力すらもう無かった。軽やかに事が進みすぎている。自分のいない所で、六郎はスズメを常習的に床に上げて愛でているのだ。もはや手遅れだ。
言われるがまま、才蔵はスズメを抱き筵の上で横になった。望月と六郎に背をむけ、ゆっくりとスズメを撫で始める。手入れがされていて、毛並みが心地よかった。

「で、何の用だよ。」
望月が問う。六郎は思い出したかのように手紙の書き方指南を依頼した。あぁ、そうだったなと、望月も約束を思い出して六郎を机の前に座らせた。
何事もなく静かに時間が過ぎていく。影が角度を変えた頃、望月は徐に声を張った。
「忍者が白昼堂々と日向でゴロ寝とは、いいご身分だよな。」
嫌みたらしく忍びの背中に投げつけた。
「お天道さんが見ている前でダラダラしてるなんて、伊賀流免許皆伝が聞いて呆れるぜ!」
しかし返事もなければ身動ぎひとつもしない。寝息は聞こえない。だが動く気配もない。代わりにスズメが顔を覗かせたが、六郎と目が合うと主人の腕の中に収まった。
「本当に寝たのかよ。」
望月は意外そうだった。
「日向で犬と添い寝するだけで、そんな簡単に寝れるか?どんな魔法だよ。」
「別に特別なことはしてないと思うけど…。」
六郎は考えただけだった。忍びの才蔵は野宿だって頻繁にしていただろう。自然の中で身を守るためにどうしていたか想像した。犬が傍にいたんじゃないかと思った。
犬は耳や鼻がいい。人間よりも危険を察知しやすい。才蔵は犬を育てることができる。一人で渡り歩いていた時期は、仕事の補佐で犬を従えていたんじゃないだろうか。
極め付けは、才蔵は間違いなく犬が好きだという確信。気が休まるんじゃないかと考えた。眠れたのなら、良かった。
しかし望月は不満そうだ。
「だいぶ油断するようになったな。」
「俺たちを信用してくれてるんじゃない?」
「それでいいのかって話だろ。一応、アイツは渡りの忍びだぜ?特定の組織に馴染んでいい立場じゃねぇだろ。」
それがあの様だ。そう愚痴を吐き捨てた。
望月が言う通り、才蔵は確かに変わった。出会った当初は”すぐに裏切れる”ような冷徹さがあった。質問も応か否かでしか答えないし、もちろん寝ている姿は見たことがない。
しかし最近は笑うこともあるし、雑談にも口を挟む。寝てる姿も見ることができた。
「今は海野家が雇ってるとはいえ、任務が終われば敵になるかもしれないんだ。ちゃんとそのつもりでいろよ。」
望月は忠告した。だが六郎は実感が湧かない。今、才蔵と関係が良好なら、それはそれで良いことじゃないか。
「人を信じたり信じれるって、良いことじゃないかな?」
「お前がそんなだから、才蔵が腑抜けになるんだよ。」
日の差し込まない部屋の奥で、呆れた望月のため息が、才蔵の耳を掠っていった。